2013-12-22

クリスマスの切手

この3連休がおわれば12/24……そう、クリスマスイブですね。
ボクはニヒルな猫なのでまったく興味がありませんが(ターキーも食べられないしね)、
世の中的には華やいだ気分が漂っていることでしょう。

今日は、せっかくなのでこのシーズンにぴったりの
クリスマス系切手をご紹介しようと思います。

超かわいいのよ~。
ほら。


ブルガリアで1989年~1990年のこの時期に発売された、
クリスマスデザインの切手です。

この切手をデザインしたステファン・カンチェフは
ブルガリアのグラフィックデザインを代表する巨匠的存在。
このほかにもたくさんの切手をデザインしているんですが
どれもこれも本当に美しくて、ほおっとため息が出ちゃいます。

ちょっと古いところでこんなクリスマス切手も。


これも同じくカンチェフさんのデザインです(1967年発行)。

カンチェフについて語りだすと、(大好きなだけに)熱がこもりはじめるボク。
長~くしつこ~くなりそうなので
今日は自制心をきかせて、
切手のご紹介だけに留めておこうと思います(苦笑)。

メリークリスマス!

2013-12-02

アンティークなポップ@フィンランド

カラフルで鮮やかでポップなミッドセンチュリー的インテリア。


これはフィンランドで比較的最近(2010年9月13日)に発行された切手です。

切手自体の図案はフィンランド人デザイナーのPekka Piippoさんによるもの。
この切手には、今やアンティーク的存在となった
ミッドセンチュリー(1960年代前後)的要素が満載されています。

随所にちりばめられたデザインをひとつひとつ見ていきましょう。

まず目に飛び込んでくるのは黄色い、
”ゴー・ゴー・ブーツ”と呼ばれていたタイプのブーツ。
1960年代半ばに流行った、比較的ヒールが低くて長さのあるブーツですね。

左に置かれた赤い電話は“コブラ・フォン”と呼ばれたもので、
その名の通り、蛇のコブラに似たデザイン。
スウェーデンのエリクソンカンパニーという会社が出し、
NY近代美術館(通称MOMA)の永久コレクションにもなっています。

この電話機といい、花形のフレームがついた鏡といい、
プラスチックの安っぽいシーリングライトといい、やたらに鮮やかな壁紙といい、
どれもこれもがミッドセンチュリー的!

駄目押し的に、ブーツの人物が座っているのは、かの「ボールチェア」であります。
あ、全容はこんな感じ。


ボールチェアはフィンランドが誇る近未来系デザイナー、
エーロ・アールニオのメジャーデビュー作品。
1966年ケルン国際家具見本市に出品して人気が高まり、
モナコのグレース王妃など超のつく著名人もご愛用。
そしてコブラフォン同様、MoMAなど数々の美術館で永久コレクションに選定されています。

この一枚に、古き良き時代がギュギュギュ~っとつまっている、というわけですね。

2013-11-06

ハウジング@シンガポール

こんにちは。切手ネコのふうじんです。

11月に入って寒さも厳しくなってきましたね。
外を歩くより、家にいる時間がぐっと増えそうです。

家といえば……引っ越し好きのあをぐみ2人につきあって
僕も数回の引っ越しを経験してきましたが、あれは怖い。
何が怖いって移動のクルマの中が最悪です。
「ネコは家につく」なんて言いますが、
家が替わることより「移動が苦手」と考えていただくとよろしいかと。

さてさて、前置きはそれくらいにして
「家=ハウジング」に関するかわい~切手を紹介しましょう。
シンガポールの切手です。


色違いで2種類。
デザインもキュートね~。

 Belinda K. P. Yuenさんらの著書
「Singapore Housing: An Annotated Bibliography」によれば
シンガポールでは1960年代に入って本格的に
政府によるハウジング計画が推進されたみたいです。
要するに、狭い国だからこその住宅問題を政府主導で改善していこう、
というわけですね。

この切手はおそらく、
その活動が一応の成果を見せたことの記念でしょう
(その9年間で10万戸が達成されたのかな?)。

僕がこの切手を気に入っているのは
数字をうま~く建物に見立ててデザインしていることと
グラフィカルな表現がいい感じにまとまっていることですかね。

文字の入り方もかなり凝っていていいでしょ~。

2013-10-23

レイモンド・ローウィー その4


ローウィーネタの間がちょっとあいてしまいました。

ローウィーって誰だっけ? とか思ってます?
そういう方は、お手数でもぜひ
「その1」からお読みいただけると幸いに存じます。

で、3回にわたって紹介し続けてきたケネディ切手の話を終え、

最後におまけ的なエピソードをひとつご披露したいと思います。

実はローウィー、フランス在住の幼い頃は切手少年だったらしく、
それに関する記述が、自伝的著書『口紅から機関車まで』に出てきます。
以下、長いけれど抜粋。

 小さい子どもが誰でもするように、私も郵便切手の収集をはじめた。
 私が切手が好きになったのは、
 その多くが美しく、色彩に富み、ロマンチックだからだった。
 南アフリカのザンベジ、アイルランド、ラブラドア半島やセイロン島、
 中米のコスタ・リカ、南米のペルー、サモア群島それにギリシア。
 遠くからの美しい郵便切手を眺めながら、私は何時間でも夢見続けることができた。
 
 ある切手のシリーズが私を魅了した。喜望峰の三角形の切手だった。
 やがて私は全シリーズを手に入れた。
 色とりどりのその気ってシリーズは、ひとまとめにすると全くすばらしかった。
 私はこんなに美しい切手はほかにないと判定を下した。
 それならなぜほかの切手を集めるんだ? 
 そこで私はこの美しい三角切手ばかりをアルバム一杯になるまで集めつづけた。
 これにはほかの子どもたちも呆れたらしかったが、私は一向気にもかけなかった。
 私の収集は、一種類の切手数百枚に達する珍妙な収集だった。

……どうでしょう、
ひとつのことにハマると熱中してしまうローウィーの気質や
美しいものを愛する心が少し伝わったでしょうか。

いやあ切手って、ほんと楽しいものですね。
次からは別の話題でお会いしましょう!

2013-10-09

今日は世界郵便の日。

1874年の今日、万国郵便連合(Universal Postal Union=UPU)が発足。
それを祝して毎年10月9日は
「世界郵便の日(World Post Day)」となっているんだそうです。
知ってました?

ちなみにUPUはいまでも国連の専門機関として存続中。
郵便業務をとおして各国の通信連絡をスムーズにし、
文化とか社会とか経済とか、いろんなことに寄与しようというのが目的だそう。

……まあ今回のネタに関しては、
「へえ」と思っていただければ幸いでございます(笑)。
次回はまたレイモンド・ローウィーの話に戻ります。

2013-09-04

レイモンド・ローウィー その3

どうもこんにちは、切手ネコのふうじんです。


秋になってきましたね。
蝉より鈴虫とかコオロギの鳴き声が目立つようになりました。

さてさて、前回に続き、アメリカのデザイナー、ローウィーさんのお話を。
この切手ですよ、覚えてますか?

この切手は最終的に、
造幣局のロバート.L.ミラーによるスケッチをベースにして、
ローウィー(の会社)がデザインし、
ジャクリーン・ケネディ夫人が最終チェック。
そしてM.D.フェントンという職人が金属板に彫りつけて版をつくり、
輪転機によって約5億枚印刷されています。

しかし発行に至るまでの道のりには、まだまだ紆余曲折があるんですね〜。

最初にアメリカ印刷局(造幣局)が打診した印刷会社は、
この仕事を「無理!」と断ったんですって。
だって、前回も書きましたが、製作期間がわずか数ヶ月しかなかったにもかかわらず、
5億枚という大量の印刷をせねばならなかったわけだし……。
こりゃあ断る方が道理ってもんです。

ところが途方に暮れた局が、同じ条件でローウィーの会社に打診したところ、
彼は「OK、お受けしましょう!」と答えている。

こんなタイトな条件なのになぜ? 
ケネディ大統領とマブダチだったから?
政府の要請という名誉だから? 

いえいえ、その大きな理由は「金」だと言われています。
何しろこの仕事で彼の会社が得た金額は500ドル。
……意外と少ないって? 
いやいやこの話、初任給が1ドルだった時代のことでありますのよん。

しかも結果としてこの仕事が芋づる式に他の仕事を呼び、
ローウィーの会社はますます発展を遂げていくわけです。

そうした後の展開(儲け)まで読んだからこそ、
リスキーな仕事に手を出したというわけなんですね……ローウィー、やるなあ。

2013-08-05

レイモンド・ローウィー その2


前回に続き、ローウィーが手がけた
ケネディ大統領の切手にまつわるエピソードを。

このローウィーという男、
フランス生まれでアメリカに帰化した人物で、
かなりスケールの大きなデザイナーだったんです。

切手のような小さなものから、
ケネディ大統領の専用機「エアフォースワン」までデザインしていることでも、
守備範囲の広さがわかります
(というかエアフォースワンをデザインしたために
ケネディ家とつながりができ、切手デザインにつながったみたい)。

……いやはや、彼の自伝的著書『口紅から機関車まで』
のタイトルどおり、ワイドレンジですな。


ちなみにこの著書『口紅から〜』には
切手に関する供述は出てきません、残念。

もっと大きな“誇るべき仕事”(機関車とか)のことは
くどいほど書かれているのに……。
しかもエアフォースワンのことも書かれていない。
国家機密だったのかな〜?

さて彼は“売れるデザインこそが
よいデザイン”という強いモットーをもっていて、
この切手を巡るエピソードにも、その姿勢が強く表れています。

あ〜、でもそのエピソードに触れると
だいぶ長くなっちゃうので、
次回に持ち越します。

では!

2013-07-20

レイモンド・ローウィー その1


切手自体の話は一旦おわりにし、
また僕のコレクション紹介を再開。
今回は切手のグラフィックデザインに着目してみます。

題して「あの巨匠のデザイン切手」。
第一回目としてアメリカの超巨人デザイナー、
レイモンド・ローウィー(1893~1986)の切手をご紹介します。

僕がもっているローウィーデザインの切手は、ケネディ大統領のこの1枚。


J.F.ケネディ47回目の誕生日を記念し、1964年5月29日に発行されたものです。
……ということは、彼が暗殺された1963年11月22日から
1年もしないうちに発行されたということで、
当時としてはかなりタイトなスケジュール。
ケネディがいかに大きな影響力のある大統領だったかが、
こんなところからも見えてきますね。

さて、この切手。消印でちょっと見づらくて恐縮ですが、
ポートレートの左には炎がデザインされています。
これは、「エターナルフレーム」と呼ばれ、
バージニア州にあるアーリントン国立墓地内の彼の墓で、
今も燃え続ける“消えない炎”。
この炎を灯したのは、未亡人となったジャクリーン・ケネディなんだとか。

ところで、フリーライターでデザインも教えている
ポール・ジョダードという人の著書
『レイモンド・ローウィー』(日本では鹿島出版が1994年に発行)に、
ジャッキーは「夫が暗殺されたのち、
彼にケネディ記念切手のデザインを依頼している。
発行当時のアメリカ郵政長官によると、
それは“郵政史上最も周到に計画された切手”だった」。
という一文があるのですが、その前後を読んでも、
この文の意図がよくわからない……。
誰がどう何を周到に計画したのかなあ。

ご存知の方がいらっしゃれば、ぜひ教えてください。

さてさて、話を切手デザインに戻しましょう。

この切手をよく見ると、縁をぐるりと言葉が取り巻いています。
そこには“And the glow from that fire can truly light the world”
と書かれているのですが、
これはケネディの大統領就任演説から抜粋された一文。

以上がこの切手のデザイン要素でした。
次回は続いてデザインエピソードをご紹介します。

2013-07-04

日本初の切手のおはなし


前回が世界初の切手の話だったので、
今回は日本の話。

日本で切手が初めて発売されたのは、
郵便制度が始まった1871(明治4)年。
イギリスから遅れること30年ほどとなりました。

手彫り(エッチング)でつくられた版を用いた
「竜文切手」がそれです。

ところで、なぜ切手は切手という名前なのでしょう? 

その語源は、室町以前から使われていた
「切符手形(きりふてがた)」だそう。
これは料金が前払されたと証明する紙片で、
略して“切手”と呼ばれていたんですね。

日本の近代郵便制度の創始者である前島密(まえじまひそか)が、
そのことを踏まえ postage stamp の訳語にあてました。
こうして単に「切手」という場合も、
「郵便切手」のことを指す言葉となったのです。

前島さんって、1円切手でおなじみのこの人ね。


ちなみに「郵便」という言葉も前島さんが採用しました。

あ、もちろん僕は「竜文切手」もまた、一枚ももっていません。
あしからず。

参考資料:『切手の歴史』岡田芳朗 著

2013-06-15

世界初の切手のおはなし

「切手」よりも「建築」寄りの話題が続いたので、
切手自体の豆知識をちょっとばかりご披露。

とはいえ、僕は“切手好き”というより“建築&デザイン好き”なので、
ウィキペディアで調べられるような話に
ちょっとデザインエッセンスを注入する、
ということくらいしかできないのですが……。

世界で最初の切手が発行されたのはイギリス・ロンドンで、
1840年5月1日のこと。
そのきっかけとなった人物が、
税制の研究をしていたローランド・ヒルという人でした。

彼は、アホなくらい高いうえ、
かなり不便だった郵便事情を世間に知らしめてやろうと
1837年に「郵便制度の改革」という冊子を出版。
これがその後の切手発行につながる改革となったそうです。

世界初となる切手のデザインは、最初、広く公募されました。
ところが、前述のヒルさんはその結果を待たずに
自ら図案を検討しはじめ、
ビクトリア女王をモチーフに定めたんだそう。
いろいろデザインを考えて応募した人は
さぞかしムカついたでしょうねえ(苦笑)。

こうして世界初の切手には女王の横顔の肖像が採用され、
黒い1ペニー切手と、青い2ペンス切手の2種が発行されています。

黒い方は「ペニー・ブラック」と呼ばれ、
5月1日当日に発売された数十万枚は特に、
今でも切手狂の間では高値取引の対象。
切手に興味がなくても、ペニー・ブラックは聞いたことある、
という人も多いのではないでしょうか。

でも青い方、通称「ペンス・ブルー」はなぜかさほど有名になってませんね。
それは、ペンス・ブルーが補助的な存在で、
発行枚数もはるかに少なかったからだと言われています。

そうそう、デザイン的におもしろいはなしをもうひとつ。

ペニー・ブラックの下2辺には、
AAからTLまで240通りのアルファベットが組み合わされて入っています。
(ウィキペディアに画像があるので参考までに)。

それはいわゆる“偽物防止”のためのチェックレター。
まあ切手は何と言っても有価証券ですからね。
チェックレターという方式は以後40年以上にわたり、
イギリス発行の切手に採用され続けました。
マニアの中にはこの文字の組み合わせに熱狂する人もいるみたいですね。

ペニー・ブラック? もちろん僕はもってませんとも(えへん)。
そこが“切手好き”と“建築デザイン切手好き”の違いです(?)。

参考資料:『切手の歴史』岡田芳朗 著

2013-06-10

切手からその国が見えてくる


前回ベルギーのレース切手をご紹介しましたが、
それらの上部に「BELGIË-BERGIQUE」
と書かれていたことにお気付きの方、
いらっしゃるでしょうか?

ほらほら、
アールヌーボー建築などをモチーフにした
これらの切手もそう。


どちらもベルギーを意味する言葉ですが、
BELGIË(ベルヒエ)はオランダ語系のフラマン語、
そしてBELGIQUE(ベルジック)はフランス語による表記。
ともにベルギーの公用語です。

なんで1つの国なのに複数の公用語が存在しているのか。
それにはベルギー建国の歴史が色濃く影響しています。

ここで長々と歴史を振り返るつもりはありませんが、
切手から国の事情とか歴史、政治的采配などが
見えてくることもあるのですよ。

おもしろいよね〜、こんな小さな紙なのに。

2013-05-23

レースと建築

ニーマイヤー建築の濃い内容が続いたので、この辺で箸休め。
僕のコレクションから、こんなものをお見せしましょう。


ちょいとピントが甘くて恐縮ですが、
レースの地に塔がのっかった、どこか乙女〜なデザインが気に入っています。

これらはベルギーで1989年に発行されたシリーズ。
なんでもベルギーではボビンレースが伝統工芸のひとつで、
起源は16世紀までさかのぼれるんだとか。
宮廷文化とともに発展し、重要な輸出品として経済に貢献してきたそうです。

それにしてもこの切手にはなぜ
レースだけでなく塔のモチーフが入っているのか……。

調べてみたらどうやらこれらの塔、
レースで有名な3つの町の象徴的建物なのだとわかりました。

グリーンの切手にはリュクサンブール州の都市
マルシュ=アン=ファメンヌの聖ルマクル教会、
青はブールージュにある15世紀の鐘楼塔、
そして赤はブリュッセルの市庁舎(多分)が描かれています。
きっとそれぞれのレース模様も地域を象徴したデザインなのかもしれませんね。

レースと塔……この柔と硬のコンビネーションが絶妙すぎて、
見ているとうっとりしてしまうお気に入りの切手です。

2013-05-13

オスカー・ニーマイヤー その4

「オスカー・ニーマイヤーその1」で紹介した切手シートは
鳥のカタチをしていますが、
これはブラジリアの町全体が、
まるで鳥が羽を広げたよう(飛行機とも言われますが)なカタチに
計画されていることに基づいていると思われます。

この切手を見ると、それがわかるかな?


ビル群の上に描かれたオレンジっぽい図形がまさに
ブラジリアの姿なのです
(ピントがあってませんね……すみません)。

この都市計画はニーマイヤーの師匠であるルシオ・コスタによるもの。

切手に描かれた黄色い都市全体像を見ればわかるように、
鳥の胴体を貫くように走るモニュメンタル大通りと、
それに十字に交差するように広がる翼のようなエイショ大通りが、
街全体の主軸になっています。

ブラジリア都市計画の詳しいことは、
より深く知りたい人はぜひ。
ここを読むとブラジリアのことと同時に、
都市計画の重要性も理解できます。

こうしてルシオ・コスタが計画したブラジリア。
それを彩る主要建築のほとんどを、
オスカー・ニーマイヤーという建築家が担うのです。

ひとりの建築家がひとつの都市にこれだけ多くの傑作を残した例は、
世界広しといえど、ブラジリア以外に思い浮かびません。
ニーマイヤーは、母国をパトロンとして活躍する希有な建築家だったんですね。

こうしたニーマイヤー建築に彩られたブラジリアは、
建設から38年目にしてユネスコの世界遺産に指定されるという
快挙を成し遂げています。

2013-05-02

スリナムのステンドグラス


ずっとニーマイヤー続きだったので、ここで閑話休題。
今日は、地図で言えばブラジルの右上にある国、
スリナムの切手をご紹介します。


教会のステンドグラスをモチーフにした切手が5種類。
どれも単純化されたかわいいデザインで気に入ってるんですよね〜。

ところで、不勉強ながらスリナムという国のことは、
この切手に出合うまで名前しか知りませんでした。
イギリスやオランダの植民地支配を受け続け1975年に独立したこの国は、
長く宗主国だったオランダの影響を随所に受けているようです。
このステンドグラスデザインもそうなのかな? 

首都のパラマリボには南米一の木造大聖堂があるそうですが、
そのステンドグラスなんだろうか……。
調べてみましたがわかりませんでした(敗北)。

……煮え切らない話題ですみません。
でも切手って、
いろいろな国のモノゴトに興味をもついいきっかけになるんです。

2013-04-24

オスカー・ニーマイヤー その3


予告どおり、またまたニーマイヤーです。
だって好きなんですもの。うふ。
万が一にも僕が自邸を建てることになったら、
ぜひ彼に設計をお願いしたいと思っていたのですが
(ほとんど冗談だけど、0.1%くらいは本気入ってた)、
残念ながら去年末に逝去。

あのニュースにはだいぶショックを受けました。
僕のヒーローが……。
天国でも美女と建築の日々を過ごされていることを祈ります。

さて、今回の切手は上から
国会議事堂、カテドラル、
そして大統領官邸の外壁を囲む構造体デザインだけをとり出したもの、
の3枚です。
消印で見づらいですね、すみません。
画像をクリックすれば拡大します。


特に3枚目の構造体デザインは有名で、
このカタチが連なる列柱の様子は本当に美しくてため息が出ます。

デザインの詳細は、建築写真家として名高い二川幸夫さん
(こちらも先日ご逝去されました……ご冥福をお祈りいたします)
の撮影本『Oscar Niemyer Form&Space』(GA)
でキレイに見られるので、機会があればぜひご覧ください
(この本はあをぐみにもあるので、
ショールーム【place by awo】にご来店いただければお見せしますよ)。

2枚目の青い切手に描かれたカテドラルですが、
この内部には梁も柱もスラブも一切存在しない。
外観を特徴づけている16の構造体に囲まれた広い空間だけが、
ただボボーンと広がっているのです
(って、実際に行ったコトはないんですけど、写真とか見るとそうかなって……)。

こういう建物を見ると、
建築の自由度と構造の技術力は
正比例するんだなあとしみじみしちゃいます。

2013-04-16

オスカー・ニーマイヤー その2


こんにちは。
このところ散った桜に思いを馳せている
切手ネコのふうじんです。


さてさて、しばらくは前回からの流れでいこうと決めたので、
またまたブラジル人建築家、
オスカー・ニーマイヤーの切手を登場させます。


前回のブログで紹介した以外の
ニーマイヤー建築@ブラジリアが3種類。
左上の青色から時計回りに、国会議事堂(1958)、
外務省(1962)。そして大統領官邸(1957)です。

ついでに大統領官邸の手前にある彫像は、
古代ブラジルの神話に出てくる水の女神(セイレーン的な存在)。

ブラジリアは、オスカー・ニーマイヤーが師である
ルシオ・コスタと協同で計画した新首都で、
約50年前にリオデジャネイロから移転しています。
「首都移転の最大の目的は、
『ブラジルのアイデンティティを構築すること』でした」と、
駐日ブラジル大使館のエドゥアルド・ティシェラ・ソウザ氏が
首都移転から50年後の2010年に振り返っていますが(国土交通省のサイト参照)
何もない砂漠に、たった5年で見目麗しい近代都市を築いたくらいだから、
その原動力たる意地みたいな気持ちは、結構大きかったのかもしれないですね。

にしても、彼の言葉にある「クビチェックはファラオの生まれ変わり」
という話はおもしろくって好きだなあ。
クビチェックはブラジリアへの移転を指揮した当時の大統領ですが、
よほどカリスマ性があったんでしょうね。

関係ないけど日本でも、
東日本大震災直後に首都機能移転論が再燃しましたが、
すぐトーンダウンして消えてしまいました。

ニーマイヤー話は今後もまだ続きます。

2013-04-09

オスカー・ニーマイヤー その1

どうも。あをぐみ所属の切手ネコ、ふうじんです。



僕はかれこれ5年近く切手を集め続けていて、
だいぶいろいろたまっているし、どれも気に入っているし、
いったいどこからどう披露しよう……非常に迷いました。

 で結局、栄えある第一回目に選んだのはこれ。
ブラジル人建築家、オスカー・ニーマイヤー(1907〜2012)の
建築デザインをモチーフにした切手シートです。



2010年にブラジルで発売されたもので、
希少とかレアということは全くなく、むしろ手に入れやすい
(っていうか僕のコレクションに、手に入れにくい切手は一切ないんですが)。
でもこのシートデザインといいモチーフといい、
とても気に入っております。

切手自体は、「聖体大会」という
キリスト教のイベントごとを記念して発行されたものですが、
どちらかというとニーマイヤー賛歌、
あるいは首都ブラジリア賛歌としか思えないデザイン。

というのもモチーフとなった建築物はすべてニーマイヤーのデザインで、
しかもブラジルの首都ブラジリアに建つもの、
あるいは強く関連しているもののみだからです。

1960年にブラジルは、リオデジャネイロにあった首都機能をブラジリアに移転。
その主要機関などの建築デザインの大半を担ったのは、
ブラジル人建築家、オスカー・ニーマイヤー(と師匠のルシオ・コスタ)でした。

では切手に描かれた建築物を左側から順にご紹介。

まずは、見切れてるけど、土星のわっかが掛かったみたいな建て物。
これは2006年竣工のギマラエス国立美術館です。

そのお隣はニーマイヤー建築のなかでもかなり有名な、
1958年築のカテドラル

王冠のようなカタチの建物で、
まわりをグルリと囲む16の構造体にニーマイヤーイズムを感じます。

次に中央に立つ戦士の彫像

ブラジリアの三権広場に据えられたこの彫像は、
新首都建設に携わった労働者の功績を讃えてつくられました。
ちなみに像はニーマイヤーではなく、彫刻家のブルーノ・ジョルジ作。

右側は、ブラジリア建設を指揮したクビチェック元大統領のため、
1956年にブラジリア近郊のカテチーニョにつくられた仮設住宅。
クビチェックなくしてブラジリアはありえなかったため、
ブラジリアのいろいろなところに彼の像や碑が見られます。

とはいえ僕的に、この仮設住宅が図柄に選ばれているのはちょっと謎。
ブラジリアにはもっと有名な建築がたくさんあるのに、
なぜこの地味な、しかもブラジリアではないところの建物を選んだんだろう……。
それについて切手デザインをしたブラジル人デザイナーの
ミリアムさんにメール質問してみたんですが、
残念ながら回答なし。がっくり。

ちなみに建物上部からニョキッと見えている像は、
後にブラジリアに建てられる大統領記念館の前に立つクビチェックの像。
実際の仮設住宅にはこの像はないので、
なんだか紛らわしいことになっています。

最後に、右端の橋。これは大統領にちなんで名付けられた
ジュセリーノ・クビチェック橋でございます。
これもまたニーマイヤーのデザイン。

ブラジリアおよびニーマイヤー関連の切手はほかにももっているので、
次回以降も紹介していこうと思います。
初回から結構マニアックでしたかしら……。

2013-03-19

切手、集めてます

はじめまして。企画デザイン会社あをぐみに籍を置く「ふうじん」と申します。
埼玉生まれ東京育ちで、あをぐみの設立と共に松本にやってきました。
まだ「ずら?」とか「だだ?」(方言)は使えませんが、
ぼちぼちと松本暮らしに慣れてきた今日この頃です。

さて、そんな僕が新ブログを担当することになりました。
テーマは「切手」。
実はここ4,5年くらい、モダン建築&デザインをテーマに切手を集めており、
「せっかくだから何か書いたら?」との提案をもらった次第です。

そうですね、せっかくだから書いてみようかな……。
というわけでこれから少しずつ僕のコレクションを披露しつつ、
四方山話をお伝えしていきたいと思います。

内容はどちらかというとマニアックだし、文章は長いし、と、
読みづらくなること必至ですが、ご興味もってくださる方がいればうれしいな。

以後、どうぞごひいきに。